アオサギ金魚



                                    月野一匠


 これは、アメリカ合衆国カリフォルニア州で、現地の木下さんのお宅に
招かれたときに聞いたお話です。

 木下さんの家には、広い庭があり、庭に面した部屋からは、大きな池を
眺めることができました。池にはたくさんの金魚が飼われています。太陽が
まぶしく照りつけた日でも、帰宅後、この池のほとりにかがんで、水の中を
涼しげに泳ぐ金魚を見ていると、それだけで、暑さばかりか、一日の仕事の
疲れまで忘れるということでした。

 私が訪ねたのは、あいにく夜でしたから、実際に庭に出て池を見せてもらう
ことはできなかったのですが、話を聞きながら、庭の情景を想像することは
容易にできました。日本ではなかなかまねのできない、豊かな時の流れが、
木下さんの家にはありました。

 「ところで、いま、この池に、ちょっとしたドラマが起こっているのです。」
と、木下さんは、少し声を落として言いました。

 週末の休みを迎えたほんの数日前のこと。部屋の中でゆっくり腰をおろして
何気なく庭を眺めていると、突然、一羽の大きな白っぽい鳥が、池に舞い下りて
きたのです。木下さんは、思わず身を乗り出しました。
 鳥は、池の中に細く長い脚ですっくと立っていましたが、水面の一点に視線を
定めたかと思うと、目にもとまらぬ速さで、長いくちばしを顔まで水中に入れ、
バネのようにすぐにまた姿勢を戻しました。
 まばたきしていれば、見落としてしまうような一瞬の動作でしたが、刀のような
鋭いくちばしの先に、赤い金魚が、横向きになって胴をしっかりくわえられ、
身動きできなくなっていました。
 鳥は、首を一振りして金魚をくちばしの中に呑み込むと、大きく羽ばたいて、
軽やかに舞い上がりました。木下さんは、思わず窓辺によって、鳥の行方を
追おうとしました。
 ところが、鳥は、遠くへ飛び去るわけでなく、なんと庭の一角にある高い木の
てっぺん近くの枝にとまったのでした。
 「えっ」
と思って、木下さんは、その木の枝を注意深く見つめました。
 すると、そこには、細い枯れ枝などを集めて作ったらしい巣があって、しかも
どうやらヒナがいる様子です。
 いつの間に――。それにしても、いままでどうして気がつかなかったのだろうと、
木下さんは、自分でも不思議なくらいだったそうです。

「たぶん、鳥はアオサギだと思います。」
と、木下さんは教えてくれました。

 アオサギなら、私も日本で見たことがあります。「白っぽい」という印象ではある
のですが、純白ではなく、ほんの気持ち青みがかった明るい灰色のサギです。
黄色がかった、刀のような鋭いくちばしをもち、地面に立った時は、首がS字型に
曲がっています。
 アオサギは、あまり人を恐れる鳥ではありません。スズメや鳩のように、せわしく
動くことがなく、ときに水辺の岩などの上で、数分間もじっと遠くを見やっていることが
あります。そのさまは、まるで考え事をしているかのようです。
 飛び立つさまも、ツルのように大きくはありませんが、おおらかに羽ばたいて、
風に乗ります。
 しかし、小魚を捕るときの素早さといったら、アオサギは、まさに天才です。
水の中に、長く細い脚ですっくと立ち、獲物が近づくのを気長に待ちます。やがて、
小魚が近づくと、くちばしの先を正確に獲物に向けます。そして、狙いが定まるや、
瞬時にくちばしを水中に突き刺し、獲物をくわえるのです。魚は、横向きに胴を
押さえられて、動きを封じられます。顔をあげ、獲物をくちばしに挟んで、じっと
締め付けている時のアオサギの目は、してやったりという感じで、凄みがあります。
 くわえた魚がぐったりすると、首を一振りして、頭からくちばしに放り入れます。
ゴクンと呑み込む時には、S字型の首がふくらんで、魚がのどを通るのが、よく
わかります。
 人里にいる鳥ですから、私も、実際にアオサギが魚をとるシーンをごく間近に
見たことがあります。水中にくちばしを突っ込んで引き抜いた時、同時に3匹の魚を
横向きにくわえていたのを目の当たりにした時には、その漁の名人ぶりに本当に
びっくりしたものです。

 さて、アオサギが自宅の木に巣を作ってくれたのはうれしいことだとしても、池の
金魚が狙われるとなると、木下さんは、無条件に喜んでばかりもいられません。
このまま放っておけば、池の金魚はすべて食べられてしまうかもしれないのです。
 金魚を守らなければ、と思いましたが、アオサギのことを考えると、特にヒナの
ことを思うと、金魚を食べられなくしてしまうのは、残酷です。アオサギが木下さんの
家の木に巣を作ったのは、決して偶然ではなく、池の中に金魚がたくさんいるのを
探し当てて、ヒナをかえすのに最適の場所として選んだからに違いありません。
土地がら、近所に、プールのある家は少なくないのですが、池のある家はそう多く
ないのです。
 ですから、金魚を守るために、池を金網か何かで、いきなり覆ったりしてしまったら、
アオサギは戸惑うことでしょう。もしそんなことをして、ヒナが飢えてしまいでもしたら、
と思うと、とてもその気にはなれません。
 とはいえ、金魚だって生きているのです。木下さんが毎日、えさをやって大切に
育ててきた金魚たちです。いくらアオサギの子育てのためだとはいえ、いとも簡単に
命を奪われるのを放っておくのは、見殺しのようなものではないかとも思えます。

 木下さんは迷いました。
「あちら立てればこちらが立たず。こちら立てればあちらが立たず。まあ、経営には
よくあることですが。」
と、木下さんは笑いました。
 こんな場合、自分だったらどうするだろうかと、私はちょっと考え込みました。が、
木下さんの笑いには、余裕がありました。
 木下さんは、すでに、ある解決策を思いついていたのです。それを聞いて、
私もなるほどと思いました。

 木下さんは、池の半分を金網で覆ったというのです。
 アオサギが漁に来た時に、金網の下に逃げられる状況を作っておいてやれば、
金魚に助かる道は、残されます。逃げられるか逃げられないかは、自分の努力
次第です。
 アオサギも、金魚を仕留められるかどうか、少し制約が加えられましたが、池の
半分は開放されているのですから、金魚を捕れるか捕れないかは、自分の努力
次第です。
 「これで、あとは双方が、自己責任でうまくやってくれるのではないかと、自分
自身に言い聞かせながら、見守っているんです。」
 木下さんは、「自己責任」という経営の用語を交えながら、そう語ってくれました。

 その後、アオサギのヒナが、ちゃんと無事に巣立ったかどうか、金魚はいったい
何匹くらい生き残れたのか――結末を聞く間もなく、私は帰国したので、想像する
しかないのですが、木下さんの知恵は、きっと、池で起こったドラマを、ハッピー
エンドに導いたに違いないと信じています。


                                      (2008年7月20日)


 アオサギ(一度に3匹の魚を捕獲。してやったりの表情)
 撮影場所:東京都 清澄庭園
 撮影:月野一匠


Copyright: Isshou Tsukino
(禁 無断転載)



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