ある日の閻魔大王

おことわり地震をテーマにした物語です。
 この作品は東日本大震災の前に構想していたものですが、地震を主題としているだけに書き上げることに抵抗を感じ、
心の中に封印していました。
 しかし、昨今の日本の情勢は東日本大震災の復興を置き去りにしているのではないかと危惧されてなりません。
福島第一原発の事故処理もままならないというのに、事故直後に停止させた全国各地の原発を再稼働し始めるなど、
いったいこの国は、同じ過ちを何回繰り返したら懲りるのでしょうか。多くの犠牲者を出した大震災から、何を学んだのでしょうか。
 大震災の犠牲を無にしないためにも、私はこの小さな物語を完成させて発表すべきであると考えるようになりました。
 許されるのであれば、この作品を、東日本大震災の犠牲になられた方々の御霊(みたま)に捧げたいと思います。 
  合掌 (2016年3月24日)




         
ある日の閻魔大王
 

 ある日、閻魔大王が、いつものように三途の川の法廷にやって来ると、あたりがいつになく騒がしい。
何事か。
 閻魔大王は、部下に尋ねた。
はい。じつは昨日、地上で巨大地震が発生し、多数の生き物が命を落としました。そのものたちが、
本日はここに参集しているのですが、中でも人間たちは、何も悪いことをした訳ではないのに、
なぜこのような目に遭わなければならないのかと、嘆き騒いでいるのでございます。

 部下の報告を聞くと、閻魔大王は、「やれやれ」と、ため息をついた。
今日は忙しくなりそうだ。早速、裁きを始めるとしよう。それでは、まず人間たちを呼びなさい。

 三途の川の法廷に、地上から魂と化してやって来た、おびただしい数の人間が呼び集められた。
突如として巨大地震の犠牲になった老若男女の魂である。どう見積もっても、十万人は下らない。
 乳飲み子や幼子を連れた若い母親たちの嘆き悲しむ叫び声が、止むことなく響く。幼子は、
親に伴われた者ばかりではない。父母を地上に残して、一人ぼっちで旅立ってきた孤児(みなしご)も数知れない。
道連れのいない小さな魂たちは、訳も分からないまま、ただ不安げにふるえている。

静まれ。ただいまから、閻魔大王が裁きを始める。
 控えの者が号令をかけると、法廷を埋め尽くした魂たちの発する泣き声や叫び声の一切が、
川原の小石の層に吸い込まれて、法廷は静寂に包まれた。
さて、このたびの出来事、そなたたちはさぞ無念に違いないが、この法廷には、
誰もが別離の悲しみを背負って無念の思いでやって来るのである。生命を得て地上に生まれ落ちた者は、
いつか必ずここへ来なければならない。そなたたちは、今、その時を迎えたのである。

 閻魔大王が、そう告げると、
後生でございます。
という叫び声がした。乳飲み子の魂を抱いた若い母親の魂が、閻魔大王に向かって訴えた。
それは、あまりに後生でございます。この子が何をしたというのでしょう。まだ何も分からず、
これから人生を歩もうというこの子が、何ゆえに、このようなむごい運命を課せられなければならないのでしょうか。

 閻魔大王は、静かに答えた。
その子は、運命によって、ここへ来たのではない。もっと長く生き続けた後に、ここへ来ることもできた。
その子だけではない。そなたたち全員にも、同じことがいえる。

 犠牲者たちには、閻魔大王の返答の意味が分かりかねた。
運命でないとすれば、この子は、そして私たちは、いったいなぜここへ来なければならなかったのでしょうか。
 誰もが、一様に同じ疑問を抱いた。
 すると、閻魔大王は、逆に犠牲者たちに問いかけた。
そなたたちは、そもそも自分がなぜここへ来たと思うか。
 ある魂が答えた。
もちろん、あの恐ろしい地震のせいでございます。私は、激しい揺れで倒壊したビルの下敷きになってしまいました。」
 別の魂が答えた。
私は、地震の直後に押し寄せた大津波にのまれて溺れてしまいました。
 さらに別の魂が答えた。
私は、地震によって起こった火災で焼かれてしまいました。
 また、こう答える魂もあった。
私は、仰天して右往左往する群衆の中で踏みつぶされてしまいました。
 次々に地震の被害を述べる発言が続いた。
 やがて、誰からともなく、
結局、私たちは、あの恐ろしい地震のせいで命を奪われたのだ。ああ、あの地震さえなければ、
こんなことにはならなかった。地震が憎い。恨めしい。

というつぶやきが起こり、それに呼応して、
恨めしい。恨めしい。
という嘆きの声が大合唱となって、法廷にとどろいた。

静まれ。
という控えの者の号令が、再び法廷を静寂の世界に戻した。
 閻魔大王が、犠牲者たちに言った。
そなたたちは、昨日の地震がよくよく憎いようであるから、気の済むように、地震の神を呼んで問うてみよう。
 閻魔大王は、控えの者に、地震の神ズマーナを呼ぶように命じた。
 法廷に現れた地震の神ズマーナを、魂と化した犠牲者たちは、深い怨みの念で見つめた。
ズマーナよ、この者たちは、そなたが起こした地震によって命を奪われたと言っている。そなたは、
なぜこれほどまでに大きな犠牲を伴う地震を起こしたのか。

 閻魔大王が問うと、ズマーナは答えた。
この者たちの住む地球という星は、マグマの活動によって絶えず形状に歪みを生じています。
ですから、時に表面の地盤を動かして調整してやらないと、歪みが拡大して星そのものが崩壊してしまうのです。
地震は、その調整以外の何物でもありません。

なるほど。しかし、その地盤の上に生きて暮らす者が大勢いるのであれば、犠牲を伴わないように配慮してもよいのではないか。
 閻魔大王は、そう問いただした。
 すると、ズマーナは、次のように答えた。
いきなり大きな地震を起こしたのでは、地上に住む者たちは驚くでしょうから、私は、可能な限り小分けしているのです。
小さな地震が時々起これば、警告にもなり、実地の避難訓練の機会にもなります。
普段から小さな地震に真剣に向き合っていれば、たとえ巨大地震が起こっても落ち着いて行動し、助け合うことができるのです。
 もちろん小地震の繰り返しで済めば一番いいのですが、それでは地球の形状の歪みを完全に調整することはできませんから、
必要になったときは、本格調整をするのです。

 断言しますが、私は、けっしていきなり巨大地震を引き起こしている訳ではありません。
昨日の地震は、たしかに数百年ぶりの巨大規模でしたが、それは私が地上の者たちに数百年の猶予を与え、
その間に防災の機会を繰り返し提供してきたということにほかならないのです。


 閻魔大王は、犠牲者たちに向かって言った。
聞いたであろう。地震の神のどこに落ち度があるというのか。
 沈黙する犠牲者たちに、閻魔大王は言葉を続けた。
数百年前の巨大地震でもおびただしい数の犠牲者が出たのである。先祖の尊い犠牲を無にしない努力を、
そなたたち人間はなぜしてこなかったのか。科学も技術も進歩したというのに、人間はその成果を何に使ってきたのか。
 人口が都会に集中すれば、住宅や職場が密集し、交通が渋滞して、危険が増すことは自明である。
それなのに危険を解消するどころか、超高層ビルを建設し、地下にまで交通網を拡張して、
ますます密集化をはかってきたのは何のためか。人口が都会に向かえば、一方で地方は過疎化して、
これまた防災工事などが進まなくなることも自明である。
 このたびの地震によるおびただしい被害は、すべて、そなたたち人間が承知の上で招いた結果ではないのか。

 閻魔大王の言葉は、犠牲者たちに反論の隙を与えないかのごとくであった。

 その時、
お教えください。
という声がした。はじめに声を上げた若い母親である。
私にはまだ分かりません。人間が愚かであったことは認めます。しかし、生まれたばかりの子どもたちに
何の罪があるというのでしょう。ご覧のように、ここには乳飲み子も、物心ついたばかりの子どもたちも、大勢います。
かわいそうに、どの子も事情が分からず怯えているではありませんか。子どもたちには、何の責任もないはずです。
それなのに、なぜこのようなむごい運命を負わされたのでしょうか。

 閻魔大王は、答えた。
だから、運命ではないと申したであろう。幼子に限らず、そなたたちがここへ来たのは、運命によってではない。」
 若い母親だけでなく犠牲者たちの魂は、閻魔大王がまたもや繰り返した不可解な返答に戸惑った。
 閻魔大王は、諭すように言った。
人間が、できる備えを十分にしていれば、人的被害は防げた。死者は出なくて済んだのである。
備えを怠ったがゆえに生じた今回の犠牲は、けっして人を選んだ訳ではない。
誰もがみな犠牲になる可能性をもっていたのであり、それがたまたまそなたたちの身に起こったというだけのことである。
けっして、そなたたちでなければならなかったという訳ではない。
 生きとし生けるものは皆、いつか命尽きる運命にある。しかし、命尽きるまでは誰しも生きることができるのである。
それが天寿である。運命による死とは、生まれ落ちたものが、命尽きるまで生き抜いて死ぬこと、すなわち
天寿を全うすることを意味する。
 運命とは定めである。天寿を全うする前に、災害や事故・事件に巻き込まれて命を落とすのは、定めではない。
定めでないにもかかわらず、途中で死ななければならない理由は、本人に罪や責任があるからではない
。」

 ここまで閻魔大王が述べると、犠牲者たちは、次に続く説明を聞き逃すまいと神経を集中した。
罪、責任のないものが突然、命を奪われることは不条理というべきであるが、そのような不条理がなぜ引き起こされるのか。
 生きとし生けるものが天寿を迎えるまでの生涯は、生まれ落ちた地上の世界にゆだねられる。人間であれば、
個々人の人生は、人間自身による社会統治なり政治なりにゆだねられる。災害や事故を防ぐことも、事件をなくすことも、
人間が平和を願って努力すれば必ず実現できることである。
 不条理は、人間がみずからできることを怠っているがゆえに、人を選ばずに降りかかる偶然の不幸である。
 そなたたちは、先ほどから、『罪のない者がなぜ』と繰り返し聞くが、災害の犠牲は悪人こそが罰として受けるべきだと考えるのであれば、
それは人間がみずから行うべき勧善懲悪を、自然現象に期待する愚かな非科学的発想である。
 ズマーナ
の証言を聞いたであろう。地震は、地球という星を守るための物理的活動であって、罪ある者を懲らしめるための天罰ではないのである。
 すべては、人間自身の無為無策の結果である。
 先立つ巨大地震で、偶然にも不幸を背負うことになった犠牲者たちは、みずからの命をもって、
生き残った人々に対策の不備と防災強化の必要性を教えてくれていたのである。その犠牲者たちの無念を、
生き残ったすべての人間が共有して真剣に防災に取り組んでいれば、そなたたちは犠牲にならずに済んだのである。
 このたびの地震では、そなたたちは生き残った人々の身代わりになったともいえる。そのことを、
生き残った人々が貴重な教訓として心に留め活かしていかない限り、不条理は、偶然ゆえに、今後も繰り返し続くであろう。

ああ
と、犠牲者たちの深いため息が、法廷に響いた。

これより、閻魔大王が皆のものに裁きを下す。
控えの者が、告げた。
 静まり返った法廷に、閻魔大王の申し渡す声が聞こえた。
運命によらずして、天寿を待つことなく別離を余儀なくされた者たちよ。幼き者、若き者は、夢多き未来を奪われ、
年を重ねた者は築き上げた幸せと可能性を奪われ、老いた者は人生の達成を前に余生を断ち切られた。
無念であろう。しかし、死んでひとたびこの法廷へやって来た者は、後戻りすることはできない。
 これより、そなたたちは三途の川を渡り、阿弥陀如来の待つ浄土へと向かうことになる。
道連れのいない幼き者たちには、道中を地蔵菩薩が付き添い導く。
 三途の川の水は澄みきって、川底からは地上が透けて見える。渡る際には、そなたたちが離別した縁者の今の姿が見えるから、
最後の別れを告げるがよい。

 閻魔大王の言葉が終わると、犠牲者たちの魂は、光り輝きながら三途の川を渡り始めた。
 対岸は深い純白の霧に覆われ、川を渡りきった魂たちは吸い込まれるようにその中へ消えていった。

                                                                (完)


あとがき

  往きし者よ、往きし者よ、彼岸へ往きし者よ。悟りし上は、幸せであれ。(般若心経 真言)



 今を生きる仏教
 
 おことわり:
  作品は改訂することがあります。
  著作権は、月野一匠に帰属しています。無断転載を禁じます。(2016年)


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 聖徳太子像
 月野一匠の世界