高麗人形森のひみつ

                                                                     月野一匠
      
 関東平野の西のはずれに、エミカの住む村はありました。ひだ深い山間(やまあい)
ぬって下ってきた高麗(こま)(がわ)の水は、このあたりから、ひろくゆったりした流れに
なります。
 岸辺には、マンジュシャゲが、ようやくめぐってきた出番を喜ぶように、のびやかに
咲いていました。もう競う相手はだれもいないのに、花の色は火よりもまっ赤です。
「さわったらダメよ。やけどするからね。」
 エミカは、胸に抱いた人形に向かって、そういいました。
 マンジュシャゲのかたわらを過ぎて、水辺におり立つと、空気がいちだんと
すきとおって感じられます。
 右から左へ流れる水の世界です。光に揺れる川底は、砂と色とりどりの小石です。
 エミカは、この夏、この川で何回泳いだことでしょう。
 頭の上から、お日さまがギラギラ照りつける時には、ハダカになって流れにとびこむ
のが、一番楽しい遊びです。誘い合うまでもなく、村の子どもたちは、みんなここへ
集まってきました。来れば、大きいお友だちが、泳ぎ方を見せて教えてくれるのです。
むずかしいことなんてありません。下流に向かって川底をけり、水面にかぶされば、
体は自然に水に乗りました。顔を水中に入れれば、目の前を小さな魚たちが、
あわてて右左(みぎひだり)によけるのが見えました。

 今は――見るだけでも冷たそうな水底です。
 夏だったら、エミカは、きっと流れに足をふみいれたにちがいありません。でも、
今日のエミカは、ちがうことを考えました。
 水は、たえまなく流れ下っていきます。エミカの興味(きょうみ)は、その流れを、反対に
どんどんさかのぼっていったのです。
 川の上流の方は、森に囲まれていました。
「あっちには、何があるんだろうね。」
と、エミカは、人形に問いかけました。
 だまっている人形に、エミカは、すぐに続けていいました。
「行ってみようか。」
「アア。」
 人形はいつだってエミカの味方です。
 エミカの心は、スーッと森の中に飛んでいきました。
 そのあとを、二本の足と人形が、追いかけます。
 小石だらけの川原が、しばらくの間、続きました。

 森の入口にとびらはありません。むしろ、木々が川のために通り道をあけている
という感じです。
 でも――ひょっとしたら、(ぬし)がどこかに(かく)れているかもしれないような気が
して――エミカは立ち止まりました。
 川は、少し先で右に向きを変えて、森の奥へ消えています。
「こんにちは。だれかいますか?」
 エミカは、右手の森と向こう岸の森の暗がりをかわるがわるのぞきこんで、
前方に、そっと声をかけてみました。
「だれもいないみたいね。」
 エミカは、ホッと人形にほほえみました。
 いよいよ森の中――といっても、このまま水辺を進んでいくだけのことです。
川に沿っているかぎり、道に迷う心配はありません。
 エミカは、また歩き始めました。
 めざすのは、もっと奥です。見えない「森のひみつ」を見つけるのです。
 川が右に曲がり始めました。対岸は、いつのまにか川原が切れ、大きな岩に
なっています。 流れは――(いきお)いのせいなのでしょう――外べりに寄って、
岩づたいにターンしていきます。緑色の深い流れです。
 カーブの内側になるこちらの岸は、たまった砂が川面(かわも)に丸くせり出して、
水上の舞台(ぶたい)ふうです。
 エミカは、砂だまりの突たんに立ってみました。自分を中心に、流れが、右から
左へ回転していきます。まるで自分が、森の主人公になったみたいな心地です。
 流れに続いて、岩も木々も空も――森の全体が、回転を始めました。

   ルルルン
   ラララ
   ラリララ
   ルルルン

 人形といっしょに舞台のまん中でダンスするエミカの歌声が、川面にはずみます。
 小さなステップが、砂の上に描かれました。
 砂の舞台から先は、入口からは見えなかった新しい光景です。
 森の間を来る川は、ずっと先で、今度は左に曲がっています。右の岸が岩になって
いるのが見えます。
 ここまで歩いてきた距離(きょり)を考えれば、ほんの目の前のながめです。
「さあ、次はあそこよ。」
 エミカは、足を早めました。
 足下が急にせばまってきました。
 小石の川原は、先細ってついに行き止まりです。
「ここから先は岩よ。」
 川が左奥へ大きく向きを変える地点です。エミカは、人形を左右の手に何度か
持ちかえながら、(なん)なく一番高い岩を征服(せいふく)しました。
 太い流れが、いっせいにエミカに向かってきては、急ぎばやにターンしていきます。
目の下の川底は、ウスのようにえぐれて、水をモチのようにこねています。
「吸い込まれそう。」
 エミカは、逃げるように、残りの岩もこえました。
 ふり返っても、もう森の入口は見えません。エミカは、完全に森の中にいるのでした。
 上流は――小石の川原が続いて、また右に折れています。どうやら川は、森の中を、
カーブを繰りかえしながらやって来るようです。
高麗(こま)(がわ)って、ずいぶんかくれんぼが好きなのね。」
 すると、
   チー
と、どこかで、鳥の声がしました。エミカには、「そうよ」という返事にきこえる鳴き方でした。
「きいた?」
 エミカは、人形に向かって目を輝かせました。
 顔を上げると、対岸の川面に伸びた木の枝の先に、小さな美しい鳥がとまっています。

         

真っ青な羽に、オレンジ色の胸。
「カワセミ!」
 エミカがそう思った瞬間(しゅんかん)、小鳥は矢のように水面めがけて飛び込み、再びサッと元の枝先に戻りました。
長いくちばしに、小魚をくわえています。
 なんという早わざでしょう。
 ほんの一瞬のできごとでしたが、シーンは、エミカの目の底に、しっかりと()きつきました。
 エミカが探しに来た「森のひみつ」は、これだったのかもしれません。
「見た? もう一度見たいね。」
 人形に語りかけながら、エミカは、とりこになって、帰ることを忘れてしまいました。
 カワセミは、やがて森の奥へ飛び去りました。
 カワセミが消えたあたりの対岸の森をしばらく見ていたエミカは、ポツ、ポツ、ポツという大つぶの雨で、
われにかえりました。
「わあ、たいへん。」
 エミカは、人形をかばいながら、川原のわきの森の木の下にかけ上りました。
 雨は、たちまちザザ降りになりました。さっきまで光を浮かべて流れていた川面が、
はげしくざわめいています。
 頭の上からも、木の葉をつたって、ポタ、ポタ、ポタと冷たい雨が落ちてきます。
エミカは思わず、枝がもっと重なりあっている太い木を見つけて移ってみましたが、
同じです。
 仕方なく、エミカは、前かがみになって、人形をじっと胸の下に抱きしめていました。
 雨の音はいっこうに弱まりません。

 足下の地面がしみてきました。かみの毛から、しずくがたれ落ちます。えりがぬれ、
背中まで冷たくなってきました。
 エミカは、ついに決心しました。
 どうせ、ずぶぬれになるのなら、こんな所にいるより、走って帰ろう――。
「さあ、ちょっとのがまんよ。」
 人形にそういいきかせて斜面をおりようとしたエミカは、川を見て、目を(うたが)いました。
 水量が増して、小石の川原が消えかかっています。水の色も一変して、黒っぽく
にごっています。
 たいへんなことになりました。
 森づたいに行くことはできるでしょうか。エミカは木の間を横へ歩こうとしてみました
が、ぬれた森の黒土はやわらかく、ズブ、ズブ、ズブと、すぐに足を取られます。
進むどころか、ころばないようにするのが、せいいっぱいです。
 せっかく勇気をふるいおこしたのに、残念(ざんねん)ながら、雨がやむのを待つしか
ありません。でも、やまなかったら――もし、このまま夜になってしまったら、
それこそたいへんです。
 雨にぬれるのは、夏の夕立でも何度か経験(けいけん)したことでしたが、その時と
ちがうのは、(こお)るような背中の冷たさです。
 エミカは、人形を強く抱きしめました。ぬれないように守った人形の体温が、
少しだけエミカの胸をあたためます。
「私ヨリ オ花デ アタタマッタラ?」
 人形がささやきました。
「お花? ああ、マンジュシャゲのこと。あれは本当はちがうの、やけどなんて
しないのよ。」
 エミカは、近くで雨にうたれているマンジュシャゲの花を見ました。
 その時、エミカに一つの考えがひらめきました。
「そうだ、いいことがある。」
 エミカは、人形を左胸に抱えなおすと、かがんで右手ですばやくマンジュシャゲの
緑のクキを、根本から一本ポキッと折りました。
 今ごろ、お母さんとお父さんは、下流の岸で、きっと自分を探しているにちがい
ありません。「お願い、マンジュシャゲさん。私たちがここにいることを、お母さんと
お父さんに伝えて――」
 そう叫んで、エミカは、マンジュシャゲのクキを、だく流めがけて、思いきり放り
ました。
 花は、沈むことなく、のまれるように流れていきます。
 エミカは、またすぐに別の一本を折って投げました。三本目、四本目と・・・・・・
続けました。一本一本のマンジュシャゲにお願いをしながら、エミカは、そこに
咲いていた七本のクキのすべてを、だく流の中に(たく)しました。
「お願い。きっと、きっとよ。」

 エミカの体は、雨の中でびっしょになりました。しかし、ふしぎと寒さは感じません
でした。
「本当ね、あたたかいわ。」
 エミカは、ぬれた顔で人形にニッコリほほえむと、人形を抱きしめたまま、
倒れかかるように木下にもどって――そのまま根本に、小さくうずくまってしまい
ました。
「もうすぐ、お母さんとお父さんが来てくれるわ。」
 つぶやくと、エミカは、眠ったように動かなくなりました。

 ほどなくして、雨の音にまじって、岩の向こうで、エミカの名を呼ぶ声が
しました。
 お父さんとお母さんの声です。
 花に託したエミカの願いは、通じたのです。
 雨が強くなってもいっこうにエミカがもどらないので、お父さんとお母さんは、
川原に出てみました。エミカの姿がどこにも見あたりません。二人は、もしかしたら
エミカが足をすべらせて下流に流されたのではないかと考えて、村の人たち
みんなに協力を求めようとしました。
 その時、上流から次々に流れてくるマンジュシャゲの花のまっ赤な色が、二人の
目にとまりました。何なのでしょう。緑のクキをつけたマンジュシャゲの花が、黒い
だく流の中に、一本、二本、三本・・・・・・。二人は、エミカが上流で助けを求めて
いる合図にちがいないと、すぐに直感しました。そして、川面にたえず目をくばり、
かわるがわる岸に向かってエミカの名を呼び続けながら、水没した小石の川原を
急いで上って来たのです。二人が森へ入り、川が右に曲がる地点へさしかかった
時には、エミカが砂の舞台の上に残した足あとは、もうすっかり洗い流されていま
した。そうして、二人は、今ようやく、川が左へ折れるこの岩の手前までやって来た
のでした。
 しかし、エミカの姿は、まだ見あたりません。
 岩を見上げて、二人に迷いが生じました。幼いエミカが、こんな高い大岩を
のりこえられるはずがない――と思ってしまったのです。マンジュシャゲを投げた
あと、エミカは、はげしい雨をさけるため森の奥に入り道に迷っているのでは
ないか――そうだとしたら、自分たちは来すぎてしまったことになります。
「エミカァ、きこえたら返事をしておくれー。」
 お父さんとお母さんの呼ぶ声が、雨の音よりも大きくひびきます。

 エミカは、岩のすぐ上流側の森の木の下にうずくまったままでした。
「エミカ、オ父サント オ母サンガ 来タヨ。」
 人形が声をかけても、エミカは返事をしません。
「オ母サーン、オ父サーン。エミカハ ココダヨー。」
 エミカに代わって、人形が叫びましたが、声にはなりませんでした。
 (セッカク アノ オ花ガ エミカノ 願イヲ 伝エテクレタノニ。)
 エミカの腕の中で、人形の目が、折り取られてなくなったマンジュシャゲの
株の根本を見つめました。
「ソウダ、イイコトガ アル。」
 人形のひとみが、うれしそうにキラッと光りました。
 次のしゅんかん、人形の体が、ウン、ウンともがき始めました。すると、エミカの
腕の力はスーと抜けて、人形は、エミカのひざをこえ(どろ)だらけの地面に
ころがり落ちたのです。

 お父さんとお母さんは、岩の手前で折り返しここから下方の森の中を探すことに、
決めました。足をすくわれないように、お母さんがお父さんの手をかりて、うしろ
向きになろうとした時です。
 お母さんの目が、ハッと、岩の内側の川面をとらえました。
「あなた、エミカの人形が!」
 川上から迫るだく流が、岩の下の深い川底にもぐりこんでうずまく中に、エミカの
人形が、こねられるように、沈んでは浮かび、沈んでは浮かびしているのでした。
「わかったぞ。エミカは岩の向こうなんだ。」
 お父さんは、急いで岩に上りました。
 行きちがうように、人形は、下る強い流れにのまれて、静かに岩のそばを(はな)
去っていきました。
 岩の上に立ったお父さんは、目の先に、エミカを見つけました。
 雨の中で、お父さんの両腕にしっかりと抱かれて、エミカのひとみがかすかに
あきました。
「あ、お父さん。」
「安心しなさい。お母さんも来ているよ。」
 エミカの両目に、熱いうれし涙があふれました。

 人形は、マンジュシャゲの花のあとを追って、どこまでも流されていきました。



(あとがき) マンジュシャゲは、生命の花、彼岸花。「森のひみつ」って、本当は
何だったのでしょうね。



月野一匠『おじいちゃんのポッケ 月野一匠童話集』(1993年)より。
挿絵:こまつゆみ
写真:月野一匠
原文は縦書きですが、横書きに表示しています。


Copyright: Isshou Tsukino
(禁 無断転載)






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