菜の花びな

                      月野 一匠



 雪どけの清水が、(りゅう)のようにいきおいよく、小川を流れ下っていました。
 目の前には、黄色くつぼみかけた一面の菜の花畑が、広がっています。
 都から来た人形売りは、小さな山里の、春の入り口に立っていました。
「さあ、着いたよ。もうじきや。」
 人形売りは、背おった行李(こうり)の中の人形にそういうと、下がりかかった行李を、両肩に、ヨイと、引き寄せました。
 春が通ったばかりの菜の花畑の道を、人形売りもまた、家々の見える里の奥めざして、進んでいきます。
 周囲の菜の花が、やがて満開に咲くであろう情景(じょうけい)が、いやでも目に浮かびます。人形売りは、思わずまぶしさを覚えました。
 (この里では、菜の花の節句やな・・・・・・)

 子どもたちが、人形売りを見つけました。
 お背なの荷は、なあに――
と、遠くから、ひとみが問いかけてきます。
「こんにちは。京の都から、おひなさまがやって来ましたよ。」

  おひなさま!
  おひなさま !!

 行李(こうり)のうしろに、たちまちかわいい行列が従います。
「ねえ、なつ、都のおひなさまって、とてもきれいなんだって。さと、母ちゃんにきいたことがあるよ。」
と、さとは、妹のなつにいいました。
「母ちゃんみたいにきれいなの?」
と、なつは、ききました。
 なつは、母さんの顔を知りません。なつがあかん坊の時に、母さんは天国に行ってしまったからです。ただ、母さんがきれいで(やさ)しかったということは、父さんや姉のさとから、いつも教わっていました。
「そうだよ、なつ。都のおひなさまって、きっと母ちゃんみたいだよ。」
「なつ、見たいな。」
「さとも、見たい。」
 子どもたちは、みな胸をふくらませて、人形売りについていきました。二人の姉妹も、思いを寄せて、ついていきました。

 人形売りが着いたのは、村の庄屋(しょうや)さまのお屋敷(やしき)です。門の前で、人形売りは、お供してきた子どもたちに、いいました。
「どうか、みなさんは、ここで待っていてね。おひなさま、見せてもらえるよう、たのんであげますからね。」
 行李の中のおひなさまは、庄屋さまが、わざわざ京都から取り寄せたものだったのです。
 でも、そのおひなさなに、もうすぐ会える。
 なつの心は、おひなさまに対面するシーンに、とんでいました。
 (はじめまして、おひなさま。)


 ほの暗いお座敷(ざしき)の奥に、たまごのような白いお顔が二つ、ボーッと浮かんで見えました。目をこらすと、虹の衣裳(いしょう)の男女のおひなさまが、床の間の上に、おぎょうぎよく座っています。
    
 (きれい。)
 おひなさまは、なつが思っていたより、ずっと、おとなでした。
 縁先(えんさき)に群がった子どもたちが、口々に、感たんの声をあげます。
「母ちゃんの顔だ。」
と、さとが、息をのんで、いいました。
 (母ちゃんのお顔――)
 姉の声に、なつは、女びなさまの顔を、いっしょうけんめい見つめました。
 線のように細く黒い目、点のように小さく結んだ口、うす紅色(べにいろ)のあたたかそうなほお――。
 ととのった静かな顔が、()んだ優しい()みをたたえています。
 なんて尊いお顔なのでしょう。

 (はじめまして、母ちゃん。)
 せいいっぱいの親しみを込めて、なつは、呼びかけました。
 すると――
 女びなさまのくちびるが、かすかに動きました。
 (なつ、元気かい。)
 (うん、母ちゃん。)
 なつは、体いっぱいに、うなづきます。
 (大きくなりましたね。)
 (うん、なつはね、もう一人で、何でもできるんだよ。お着物だって、たたむしね、おせんたくだってするんだよ。)
 (おりこうね。)

 同じ時――
 さとも、女びなさまと、お話をしていました。
 (大きくなったね、さと。)
 (うん、見て、母ちゃん、なつもいっしょだよ。さと、いつもなつと遊んであげてるし、父ちゃんのいうことも、きいてるよ。母ちゃんとのお約束、ちゃんと守っているよ。)
 (ありがとう、さと。)

 縁先に集まった子どもたちは、あきることなく、思い思いに、おひなさまの美しさを、たたえました。
 なつとさとは、手をつなぎ合ったまま、それぞれに、母さんと、うれしいお話をしました。

 やがて、子どもたちの歓声(かんせい)は、庄屋さまの屋敷の外へ散っていきました。
 見晴らしがきく野の道です。
「ねえちゃん、おひなさまに会えてよかったね。」
「うん、さとね、ほんとは、母ちゃんに会ったみたいな気がする。」
「なつもだよ。なつは、母ちゃんにほめてもらったんだよ。」
 二人の会話は、幸福感にみちて、自然にスキップを誘うのでした。

 次の日、都へ帰るため、村の中心を出た人形売りは、菜の花畑の中に、二人の少女が、見えかくれして遊んでいるのを、見ました。
 きのう、ひな人形に、じっと見入っていた姉妹やな・・・・・・。
 二人の幼顔(おさながお)が、どこかしら女びなに似ていたのを、人形売りは思い出します。
 菜の花畑も、黄色みを、少しふくらませていました。
「節句もじきや。」
 つぶやいたとたん、人形売りは、まばゆさに目がくらみました。
 目の前に、満開の菜の海が広がり、波間に女びなが水浴している節句の日の情景が、見えたのです。
 われにかえると、姉妹が、自分に気づいて手をふっていました。人形売りも、いっぱいに手をふり返しました。

  


あとがき:菜の花畑は太陽の色。おひなさま、自分で作ってみましょうか。

 月野一匠『おじいちゃんのポッケ 月野一匠童話集』(1993年)より
 挿絵:こまつみか
 
原文は縦書きですが、横書きで表示しています。

 
Copyright:I sshou Tsukino
 
(禁 無断転載)




 月野一匠作品集 目次