牛のなみだ
月野一匠
一郎たちが、道ばたでメンコをして遊んでいたときのことです。
「ホレッ、ホレッ」
と、だれかを強く叱るような声が、遠くでしました。
「あ、牛だ。」
農家のおじさんが、牛に荷車を引かせて、こちらへやってきます。
田畑の耕作や、重い荷物の運ぱんを、まだ牛や馬にやらせていた時代ではありましたが、農家の子ではない一郎たちにとって、働く家畜を間近に見るのは、やはりめずらしいことでした。
「見ようぜ。」
「よし、ターイム。」
一郎と有太と浩の三人は、それぞれに自分のメンコを拾うと、牛が近づいてくるのを、じっと待ちました。
ごくたまに通るようになった自動車だったら、乾いた土ぼこりを立てながら、ガガーッと、目の前を行き過ぎたことでしょう。
しかし、その牛の歩みは、本当に一歩また一歩と、遅いものでした。でも、それはたんに牛だからというのではありませんでした。
無理もありません。後ろの荷車には、根本から刈り取られたばかりのトウモロコシの茎が、ビッシリ束ねられ、両脇へせり出しています。かなり高いところに、重心がありそうに見えました。
「ホレッ、ホレッ」
おじさんは、牛の歩みにリズムをつけようとしているのでしょう。牛が足を踏みだそうとするのに合わせて、鼻のたづなを、グイッ、グイッと、引っ張っています。
牛は、角のある頭を上下させながら、ゆっくりゆっくり近づいてきました。
茶色い全身の筋肉のあちこちが、ピクピクけいれんしています。
ようやく三人の目の前にやってきたとき、牛は止まってしまいました。
荒い息づかいに合わせて、肋骨の浮いた脇がヒクヒクしています。
荒れた毛並みと盛り上がった肩、腰は、この牛が、一郎たちが生まれるもうずっと前から、力仕事だけに生きてきたことを、うかがわせました。
働きざかりのころは、きっとがんじょうな体格だったのでしょう。りっぱな角が、何よりの証拠です。
しかし、老いた牛は、いまその太い角に似合わず、首をうなだれています。
荷の重さに耐えられず、これ以上は動けないのでしょう。
目には、なみだがたまっていました。
「あっ、牛が泣いてる。」
一郎は、おどろきました。牛の目は、うるんだまま、じっと行く手を見すえています。
「コレッ、どうした。」
おじさんは、牛を叱りとばしました。
牛は、顔を上げ、右の前あしを踏み出しましたが、ひづめが空回りするようにすべって、体がよろけてしまいました。
「あっ。」
三人は、息をのみました。
よろけたひょうしに、牛のなみだが地面に落ちるのを、一郎は見ました。
「この、老いぼれめ。」
おじさんは、容赦しません。
牛は、両方の前あしを踏んばって、もういちど体勢をととのえました。
「がんばれ!」
一郎は、思わず叫ぶと、メンコを地面に放り出して、すばやく荷車の後ろに回りました。有太も浩も、メンコを捨てて、一郎の両側に付きました。
「がんばるんだ。」
三人は、岩のようなトウモロコシの束の下に、荷車の台を見つけて、せいいっぱい押しました。
ズックぐつの底が、土の上をすべるばかりです。
「おう、坊たち。いいんだ。これは、こいつの仕事だでな。」
三人を見つけたおじさんは、そういって、
「ホレッ、ホレッ。子どもたちに笑われんよう、しっかりせい出せ。」
と、牛を叱ると、そのこわばった尻を、ムチでビシッと打ちました。
「クソー。だれが笑うもんか。」
一郎は、もういちど、荷車の後ろにかがんで、思いっきり力を入れました。有太も浩も、一郎と心を一つにして、歯を食いしばりました。
ギシッと荷車が音を立て、頭の上でトウモロコシの山が、ユサッと揺れて、荷車が前へ進みました。
「ホレッ、ホレッ」
という、おじさんのかけ声に、はずみがつきました。
「いいぞ、いいぞ。」
三人は、しばらくかってに、荷車の後ろを押し続けました。
しかし、もっともっと押していきたい、と気持ちは前へ出るものの、三人とも、すぐに体中がヘトヘトになってしまいました。
浩がたまらず手をはなすと、一郎も有太も、とたんに気の張りが切れて、三人は同時に、道のまん中に、ドタッとすわり込んでしまいました。
けれども、見上げるようなトウモロコシの山は、止まることなく、はなれていきます。三人は思わず顔を見合わせて、にっこりしました。
そのとき、
「坊たちい。トウモロコシ、一本ずつ持っていきなー。」
という、おじさんの声が、先から聞こえました。
「いるもんかあ、そんなもん欲しくて手伝ったんじゃない。」
と、返そうとした一郎は、すぐに思い直して、
「おう。」
と叫びました。
「いいか、有太、浩。一番でっかいやつをもらうんだ。そして荷物を軽くしてやるんだ。」
三人は、急いで立ち上がると、少し先を行くトウモロコシの山を追いました。
月野一匠「牛のなみだ」(『文芸ひだか』第8号、1995年 掲載)
Copyright: Isshou Tsukino
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